ニホンザルはどうして街にやってくるのか?
―石巻市でのニホンザル出没の背景―
ご存じの通り、2023年5月上旬から石巻市の市街地でニホンザル(Macaca fuscata、以下サル)の出没が相次いでおり、不安に感じている方が多いと思います。
日本各地でサルの生態を研究してきた私のところに各種メディアから取材の依頼が相次いでおりますが、これまでの報道内容の一部には不正確な情報、あるいは視聴者の誤解を招きかねない表現が散見され、私は誤解に基づく行動によるトラブルの発生を懸念しています。
サルの正しい知識を提示し、適切に対処していただく助けになればと考え、今回の事例について、研究者としての見解と解説を述べたいと思います。皆さんの不安解消の手助けになれば幸いです。
お答え
今回石巻市で確認されたサルは、若いオスザルです。生まれた群れから離れて一人で旅をしている『離れザル』だと考えられます。
解説
サルは、30~50頭ほどの群れを作って生活する動物です。群れは、複数のオスと複数のメス、そして彼らの子供たちから構成されます(辻, 2020)。
ニホンザルの群れ |
メスが生まれた群れで一生を過ごすのに対して、オスはある程度大きくなると(3~7歳くらいとされています)ほぼすべての個体が生まれた群れを出て、単独で、あるいは、オスだけのグループを作って行動します(福田, 1982; Sprague et al., 1998; Kawazoe, 2006)。
この状態のオスを『離れザル』といいます。『離れザル』は数年ほど山を放浪したあとで別の群れに移籍し、そこのメスと後輩して子を成しますが、数年もたつと、またその群れから消失します。オスは、いろいろな群れに出入りを繰り返して生涯を過ごすと考えられています。遺伝子の視点では、『離れザル』は出身群の遺伝子をほかの群れに運ぶ「運び屋」として機能します。
つまり、今回石巻市に出現してサルは「旅の途中の若いオス」だということです。
交尾するサル |
サルの新生児 |
さて、石巻市で目撃が相次いでいるサルは、これまでの目撃情報から、一頭だけで行動しているようです。映像からは、3~5歳程度と推測されます。
目撃された場所の範囲は石巻駅周辺・山下・渡波・女川と比較的広範囲ですが、おそらく同一個体でしょう。人間に積極的に近づいてこない様子から、ペットとして飼育されていた個体が逃げ出した可能性は低いと思われます。
お答え
県⻄部から移動してきた可能性が⾼いと思います。
解説
2022 年現在、宮城県県内には、約3000 頭のサルが生息していると推定されています(宮城県環境生活部自然保護課, 2022)。
県内の分布は、県の⻄部(加美・大崎・仙台・川崎)と南部(七ヶ宿・白石・丸森)、そして牡鹿半島沖の離島・金華山島に限られます(宮城県環境生活部自然保護課, 2022)。県の北部に群れは分布しておらず、岩手県の五葉山まで北上しなければ隣接集団はいません。
したがって、今回のサルは県⻄部の群れ出身の個体であり、東へ東と旅をして、石巻市にたどり着いた可能性がもっとも⾼いと私は考えています。金華山島から海を渡ってやってきた可能性は、島と本土の間の海流の強さを考えれば、非常に低いでしょう。
サルが海を泳いで⻑距離を移動したという事例は、研究者の間では知られていません。離れオスの生活についての研究はあまり進んでいないのですが、元の群れから数十キロ離れた場所で見つかったケースも知られており(福田, 1982)、移動能力はかなりあるとみてよいでしょう。
お答え
石巻市にやってくること自体は、珍しいことではありません。ただ、市街地にとどまっているのは珍しいケースです。
解説
環境省が平成12 年度〜14 年度にかけて実施した生物多様性調査によると、県内の『離れザル』の目撃情報は県下全域に及んでいます。
県北地域では気仙沼市、栗原市、大崎市、登米市、南三陸町で目撃情報があり、石巻市では牡鹿半島で目撃されたことがあります。県内での『離れザル』は、7 月〜12 月に目撃回数が多いようです (伊沢, 2004)。
このように、県の東部でのサルの目撃は散発的に報告されており、石巻市でのサルの出現自体は、驚くべきことではありません。ただ、今回のように一か月以上にわたって市街地にとどまっているのは、珍しいケースといえます。
このサルが人の姿を見てもすぐには逃げないこと、そして家庭菜園の野菜を食べたという目撃情報から「恒常的に農作物被害を起こしている群れからやってきた個体」の可能性があります。だとすれば、食べ物が入手できる期間、市街地付近にとどまる可能性は、否定できません。野生のサルの夏の食物は、若葉・花・キノコ・昆虫などですが、春や秋に比べて食物事情が悪いため、食物がたくさんある場所は彼らにとって居心地が良いのです。
マスメディアの注目を集めてしまったことも、このサルが市街地にとどまっている要因だと、私は思います。連日、大勢の人にスマホのカメラを向けられ、さらにもっと大きなテレビカメラを何台も向けられたら、サルがどう感じるか、想像してみてください。巨大な怪獣に取り囲まれているかのように感じるのでないでしょうか…。
このような状況では、このサルは市街地から立ち去ろうにも移動しづらくなっているのかもしれません。ここはひとつ、サルへの接し方や報道各社の取材の在り方を考え直していただければ…と思います。
宮城県内のニホンザルの分布 (宮城県環境生活部自然保護課, 2022) 色のついた線は群れを表す |
お答え
このサルにばったり出会った場合は、目をそらして知らん振りをしてください。にらみつけたり、撮影しようと携帯のカメラを向けたりすると「威嚇している」と認識し、飛び掛かってくる恐れがあります。
若い個体なので⽝⻭はまだ鋭くないですが、それでも噛まれたり引っかかれたりするとケガをします。野生のサルは人間に感染する病気や寄生虫を持っていることがあり、噛まれたときにそれらに感染する危険もあります。
くれぐれも、脅かしたり捕まえようとしないでください。こちらが何もしない限り、向こうが襲ってくることはありません。
ここ数日は、集合住宅のベランダに出現したケースが報告されているようです。このサルが日常的に畑荒らしをしている群れからやってきた個体である場合、人の食べ物の味を知っているため、部屋の中に食べ物を見つけると侵入しようとする可能性があります。カーテンを閉め、部屋の中が見えないようにするのがよいでしょう。
なお、チンパンジーなどの大型のサルが、人間の赤ん坊を連れ去った事件があるのですが、ニホンザルではそのような事例は一度も発生していません。ましてや、今回出現した「離れザル」は体重5 kg 程度の比較的小型の個体と思われますから、人間の赤ん坊を抱きあげるのは不可能ですので、この点については、ご心配は無用です。
サルが立ち去ったあと、目撃した場所やサルの行動を、市の担当者や警察に連絡してください。
お答え
サルの今後の進路を予想するのは非常に難しいのですが、①県⻄部にU ターンする可能性、②渡波を経由して牡鹿半島に入り込む可能性が考えられます。③市街地で交通事故にあって死亡する可能性もあるでしょう。
サルに限らず、生き物の究極的な目的は「自らの子孫を残すこと」ですから、この『離れザル』にとっては、他の群れが連続して分布する奥羽山脈に戻る①が、一番良いシナリオです。②の場合、サルが定着したとしても交配する相手がいませんので、牡鹿半島内で将来サルが増加することはないでしょう。
辻研の成田歩君による作品 |
ここ数年、クマやイノシシ、カモシカといった野生動物が市街地に出没することがたびたびニュースになっています。今年は北海道でヒグマによる凄惨な事故が発生しました。
野生動物に対する関心、そして不安が⾼まっていることも、今回の石巻市でのサルの出現が大きく報じられた背景にあるのでしょう。
ただ、動物の市街地への出没を「異常事態だ」「野生動物の反乱だ」などという構図で報じるメディアが一部あり、これに対するネット上の匿名の書き込み―客観的なデータや根拠に基づかない無責任なものです―が、市⺠の不安を煽っているように思います。
ここは少し、冷静に問題を分析してみましょう。今回ご説明したように、オスザルが群れを離れて放浪すること、そしてサルが石巻にやってくること自体は、決して異常なことではありません。これは、野生動物としてのサルの自然の姿なのです。
故郷を出て旅をしている若いサルが、石巻で一休みしているのだと理解してください。また、彼らが理由もなく襲ってくることはありませんので、過剰に恐れる必要もありません。ただし、興味本位でのサルの撮影はお止めください。
今回の一件は「野生のサルがときどき訪問してくるほど、石巻は自然豊かな場所である」ということの証しでもあるのですから、おおらかな気持ちで「おらが町のサル」を見守ってあげてください。そのうち去ることを願いましょう。
参考文献
- 福田史夫 (1982) ニホンザルのオスの年齢と群間移動との関係. 日本生態学会誌 32: 491-498.
- 伊沢紘生 (2004) 宮城県における群れ外オスの出没状況とその特性. 宮城県のニホンザル 16: 44-51.
- Kawazoe T. (2006) Association patterns and affiliative relationships outside a troop in wild male Japanese macaques, Macaca fuscata, during the non-mating season. Behaviour 153: 69-89.
- 宮城県環境生活部自然保護課 (2022) 宮城県特定鳥獣保護管理計画検討・評価委員会資料
- Sprague D.S., Suzuki S., Takahashi H., Sato S. (1998) Male life history in natural populations of Japanese macaques: migration, dominance rank, and troop participation of males in two habitats. Primates 39: 351-363.
- 辻大和 (2020) 与えるサルと食べるシカ. 地人書館, 東京.
本学はこれからも地域の問題解決に積極的に取り組みます。
令和5年7月3日
理工学部生物科学科 辻大和
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