12月14日(日)、自然科学コースで教職を目指している2年生5名が、震災遺構・門脇小学校で社会見学を行いました。2年次の基礎演習(渡辺班)の特別授業としての実施です。
参加した学生は、将来的には学校現場で防災教育を行い、子どもたちの命を守る立場に。
震災で大きな被害を受けた石巻で学ぶ学生として、一度は自分の目で見て体験すべき施設だろうと学生たちの意見が一致し、課外授業を行うことになりました。
それでは、当日の様子を時間を追って紹介します。最後に、学生がどんなことを感じたのか、ミニレポートでの感想を紹介します。
目次
- 「津波火災」の痕跡を残す唯一の震災遺構
- 【体育館】 ~ プロローグ ~
- 【本校舎】 津波と津波火災の被害を間近で
- 【特別教室】 震災の状況を映像やデータで
- 「いしのまき元気いちば」で昼食
- 「マンガロード」を歩いて石巻駅へ
- 参加学生5名の声(ミニレポートより)
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| 石巻駅に集合 雪も降りそうな予報でしたが、小雨程度に |
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| バスで向かいます (10分程度で到着) |
「津波火災」の痕跡を残す唯一の震災遺構
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| 震災当時、津波で流されてきた車や家から引火 火の手は3階まで及び、ほぼ全焼しました いわゆる「垂直避難」だけでは 十分ではないことを伝えています |
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| 1週間ほど前には、青森県東方沖で 津波警報が出る大きな地震があったばかり 気が引き締まる中での見学となりました |
【体育館】 ~ プロローグ ~
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| 入ってすぐに、被災車両の展示 津波の威力を肌で感じることができます |
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| 90分コースの解説ガイドをお願いしました |
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| 入口からは車両が大きくて入らないため 体育館の天井を開けて搬入したそうです |
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| ガイドしてくださったのは リチャード・ハルバーシュタット館長 実は、本学で英語教員をされていた方です |
【本校舎】 津波と津波火災の被害を間近で
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| リチャード先生からの説明を熱心に聞く学生たち 校長室の金庫には、1週間後にひかえた 卒業式のための卒業証書が保管されていました 被害は奇跡的に免れ、 4月に無事卒業生の手に渡ったそうです |
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| 日常が残された教室 |
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| 焼け落ちてぐにゃぐにゃになった黒板も印象的でした |
【特別教室】 震災の状況を映像やデータで
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| 震災前と現在の景色との対比 門脇小学校は山のふもとに位置しています それより海側の南浜・門脇地区は住宅地でした |
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| 「記憶を紡ぐ」 体験者の記憶が詩と絵で表現されています |
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| 「門脇小学校の思い出」 |
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| 時折、秘蔵写真?による説明がありました 近くの製紙工場からパルプが 流れ着いた体育館の様子です |
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| 普段の避難訓練によりスムーズに避難が行われたことや 学校にいた児童は全員無事だったことを知りました |
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| 防火扉がそのまま利用されていました |
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| 「これは何でしょう?」 |
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| 教壇を橋にして、裏山へ脱出した現場 教壇の写真も見せていただきました |
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| 橋になった教壇 |
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| 地層のはぎ取り標本によって 繰り返し津波が襲ってきたことが分かります |
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| 理科的な視点の勉強にもなります |
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| 市町村別の津波浸水範囲 北上川・旧北上川の影響もあり、 石巻市が飛び抜けています |
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| プロジェクションマッピングで 地震の規模が視覚的に分かりやすくなっていました |
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| 移動中には、リチャード先生自身の 体験談も聞かせていただきました 原発の事故を受けて、英国大使館から 帰国勧告のメールがあったそうです そして、悩みながらも一度仙台へ 一晩中考えた結果 「I decided to go back」と決断 英国ではなく、石巻に「戻る」ことに |
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| 実際の仮設住宅を見学 大学近くのエリアは東北最大の仮設住宅群でした |
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| 「明日(未来)へ」 最後にメッセージを頂きました リチャード先生の気さくなお人柄と 分かりやすい説明で話に引き込まれました 90分では足りないくらい もっと知りたくなる充実した内容でした |
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| 学生を代表して、伊藤さんから 感想と感謝の言葉をお伝えしました 「ありがとうございました!」 |
「いしのまき元気いちば」で昼食
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| 少し休憩してから、 歩いて「いしのまき元気いちば」へ |
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| この日は石巻満喫プランということで 2階にある「元気食堂」でお昼ご飯を食べることにしました (海鮮系、石巻焼きそば、サバだしラーメン etc) |
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| 石巻の定番「サバだしラーメン」は 魚介の出汁が効いていて美味しい! (地域水産利用学研究室が開発に携わったものです) |
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| こちらの雰囲気のある建物は 石巻で最初の百貨店である「観慶丸商店」 |
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| 石巻駅に到着 皆さん、お疲れ様でした! |
参加学生5名の声 (ミニレポートより)
今回、門脇小学校を見学して震災の恐ろしさを痛感しました。
石巻の被害を実際の映像やラジオ、統計データを通して、平和な日常から一変し緊迫した状況になったことがよく感じられました。特に、プロジェクションマッピングによるマグニチュードの大きさを体験したのが印象に残っています。2011年3月11日に巨大な波紋が広がり、さらに膨大な量の余震が起きていて、信じられない光景でした。
本校舎を見学すると、津波火災による被害の爪痕が残っていて、悲惨な様子でした。机や椅子の配置から授業を受けていた事が分かりましたが、天板はなくなり、黒板は剥がれ落ちており、懐かしさとは裏腹に衝撃と恐怖の感情がありました。
当時の小学生が作成した作品からは、温かさと寂しさが感じられました。残った作品もあれば、流されて、燃えてしまった作品もあり、思い出として残るはずのものがなくなってしまうのは辛いと感じました。
「記憶を紡ぐ」のエリアでは、詩と絵で体験者の記憶が見られました。特に心に刺さったのは、耳の聞こえない方の詩でした。「突然の揺れと走り回る人。サイレンや警報も聞こえない中で、あなたは動けますか?」という問いかけがあり、自分ならきっと動けないだろうと思いました。もし、また震災が起こったとき、障がいを持つ方の為に何が自分にできるだろうと考えるきっかけになりました。
門脇小学校の被害の様子や体験談を聞いて、人の命が簡単になくなってしまうことを知り、命の尊さを学びました。それと共に、人が明日への希望を持って力を合わせることで、大きな災害でも迅速に復興できることに感動しました。また、門脇小学校の素早い判断による避難やユニークな解決法など、多くの災害に対する学びと共に、東日本大震災という悲惨な過去があったという事実が深く心に残りました。
今回、門脇小学校を見学して震災の恐ろしさを痛感しました。
石巻の被害を実際の映像やラジオ、統計データを通して、平和な日常から一変し緊迫した状況になったことがよく感じられました。特に、プロジェクションマッピングによるマグニチュードの大きさを体験したのが印象に残っています。2011年3月11日に巨大な波紋が広がり、さらに膨大な量の余震が起きていて、信じられない光景でした。
本校舎を見学すると、津波火災による被害の爪痕が残っていて、悲惨な様子でした。机や椅子の配置から授業を受けていた事が分かりましたが、天板はなくなり、黒板は剥がれ落ちており、懐かしさとは裏腹に衝撃と恐怖の感情がありました。
当時の小学生が作成した作品からは、温かさと寂しさが感じられました。残った作品もあれば、流されて、燃えてしまった作品もあり、思い出として残るはずのものがなくなってしまうのは辛いと感じました。
「記憶を紡ぐ」のエリアでは、詩と絵で体験者の記憶が見られました。特に心に刺さったのは、耳の聞こえない方の詩でした。「突然の揺れと走り回る人。サイレンや警報も聞こえない中で、あなたは動けますか?」という問いかけがあり、自分ならきっと動けないだろうと思いました。もし、また震災が起こったとき、障がいを持つ方の為に何が自分にできるだろうと考えるきっかけになりました。
門脇小学校の被害の様子や体験談を聞いて、人の命が簡単になくなってしまうことを知り、命の尊さを学びました。それと共に、人が明日への希望を持って力を合わせることで、大きな災害でも迅速に復興できることに感動しました。また、門脇小学校の素早い判断による避難やユニークな解決法など、多くの災害に対する学びと共に、東日本大震災という悲惨な過去があったという事実が深く心に残りました。
私は東日本大震災の当時、まだ幼稚園の年長で記憶がほとんど残っていません。そのため、今回震災のお話を聞くことができ、津波、火災の威力を目で見て感じ、その恐ろしさを実感しました。
当時門脇小学校に務めていた教員達の行動・避難するまでの流れを詳しく聞き、実際に私が教員になったら臨機応変に対応し、生徒たちを守ることができるのか不安な気持ちになりましたが、震災はいつ起きるか分からないため、今のうちから対応力などを身につけ、しっかりと準備していきたいと思いました。
震災で被災した人たちの詩を読んで、身体に不自由がある人達のことを考えられていなかったなと思いました。耳が聞こえなければサイレンの音、放送も聞こえない、広い範囲で停電になればテレビもつけられないため、何も情報が掴めないということがとても恐ろしいと感じました。
定型発達の人でも落ち着いて行動できる人は少ないのに、障害を持つ人はとても不安な気持ちでいっぱいだろうなと思いました。そのような方が周りにいたら迷わずに手を貸し、一緒に避難できるようにしていきたいです。自分のことでいっぱいいっぱいかもしれませんが、私たちの周りにはそのような方たちもいるのだということを意識していきたいです。
震災では絶対にこの行動が正しいといった決まった行動がないため、その場の状況を見て臨機応変に行動できるようにしていきたいです。また、教育していく上で、私たちが指導する生徒たちは震災を知らない世代なので、東日本大震災での教訓を語り継ぎ、被害に遭う人ができるだけ少なくなるように防災教育に力を入れ取り組んでいきたいです。
自ら伝承館に足を運ぶ機会はあまりないため、今回このような形で震災当時の様子を耳で聞き、目で見ることができ、命の尊さを知り、非常に良い学びを得ることができました。今回学んだことを自身の教育に生かしていきたいです。
当時門脇小学校に務めていた教員達の行動・避難するまでの流れを詳しく聞き、実際に私が教員になったら臨機応変に対応し、生徒たちを守ることができるのか不安な気持ちになりましたが、震災はいつ起きるか分からないため、今のうちから対応力などを身につけ、しっかりと準備していきたいと思いました。
震災で被災した人たちの詩を読んで、身体に不自由がある人達のことを考えられていなかったなと思いました。耳が聞こえなければサイレンの音、放送も聞こえない、広い範囲で停電になればテレビもつけられないため、何も情報が掴めないということがとても恐ろしいと感じました。
定型発達の人でも落ち着いて行動できる人は少ないのに、障害を持つ人はとても不安な気持ちでいっぱいだろうなと思いました。そのような方が周りにいたら迷わずに手を貸し、一緒に避難できるようにしていきたいです。自分のことでいっぱいいっぱいかもしれませんが、私たちの周りにはそのような方たちもいるのだということを意識していきたいです。
震災では絶対にこの行動が正しいといった決まった行動がないため、その場の状況を見て臨機応変に行動できるようにしていきたいです。また、教育していく上で、私たちが指導する生徒たちは震災を知らない世代なので、東日本大震災での教訓を語り継ぎ、被害に遭う人ができるだけ少なくなるように防災教育に力を入れ取り組んでいきたいです。
自ら伝承館に足を運ぶ機会はあまりないため、今回このような形で震災当時の様子を耳で聞き、目で見ることができ、命の尊さを知り、非常に良い学びを得ることができました。今回学んだことを自身の教育に生かしていきたいです。
私は東日本大震災当時、福島県にいて幼稚園年長でした。記憶も曖昧であまり大きな被害もない地域だったので、今回門脇小学校を見学するまでは正直、地震や津波に対して軽視しているところがありました。が、震災についての意識が180度変わりました。
まず、入口に入るとぐちゃぐちゃになっている二台の車が目に留まりました。一台は頑丈に作られているはずの消防車でした。あんなに大きい鉄の物体が津波によって潰されてしまうこと、またその車が流され凶器になることが衝撃的でした。門脇小学校の津波の高さは約1.8mだったそうです。もっと高かったのかな、と思いましたが身長程度の高さで車が流されてしまうことが意外で、津波の怖さが分かりました。
次に校内に行くと、真っ黒に焦げている教室が次々と並んでいました。火災によるものです。津波で火災が起こってしまうことは考えられませんでした。そこでは壁が焼け吹き抜けになっており、焼け落ちた黒板や、木の板は燃え金属の枠組みのみになっている椅子と机などが当時の授業風景のまま残っていました。震災が起こるまでは普段通りの授業で日常を過ごしていたと考えると、切なく胸が締め付けられました。
また館長さんから津波が来ている時、生徒を心配して来る保護者や、学校は避難所になっていたため、逃げてくる避難者への説明のために4人の教師が学校に残ったと伺いました。自分の命が犠牲になってしまうかもしれないのに学校に残るという判断をした教師たちの覚悟を感じ、私は将来教師を目指していますが、自分には到底出来ないなと思いました。教師は重大な責任感が伴う仕事であると、さらに実感しました。
東日本大震災から15年が経過しようとしていますが、多くの尊い命が失われ、今でも行方不明者が見つかりまだまだ被害は続いていることを知り、絶対に風化させてはいけないなと思いました。災害と切っても切れない関係にある日本に住むこと、そして海沿いの石巻に住むことについて深く考えさせられました。今一度、避難経路や避難場所について頭に入れておこうと思います。
二度と同じような悲しい思いをせずに済むように、災害の怖さ、防災の大切さを後世に伝えて行くことが今自分が出来ることだと感じました。生きたくても生きられなかった人達がいることを忘れずに、変わらない日常を過ごせていることに感謝をしながら生きていきたいです。
門脇小学校を見学して、どれも衝撃を受けるものばかりでした。東日本大震災について私はずっと津波が来ただけだと思っていましたが、本当は津波の他に火事も起きていたなんて想像もしていませんでした。
特に印象に残ったのは、教員と生徒全員が山に避難するのかなと思っていたのですが、教員4人が学校に残ったという話を聞いたことです。残った教員も本当は怖かったと思うのに避難してくる人がいるかもしれないと考え、行動できるのは本当にすごいなと感じました。もし、私が教員で同じ局面にいたら生徒と一緒に避難していると思いました。
また、学校にいた教員や避難している人たちも山に移るために教壇で橋を作ったり、山を登るために使ったりして避難することができたという話を聞いてとても驚きました。これからもこのような危機的状況は何度もあると思いますが、打開策は必ずあると思うので、身の回りのものをよく観察する必要があるなと考えました。
今回、門脇小学校の見学を通して、教員になりたい人は必ず訪問したほうが良いと考えました。理由は、震災の恐ろしさや対応の仕方など五感でしか学べないものがたくさんあったからです。体験することで、地震や津波など震災が起きてしまっても慌てずに対応することができると感じました。
門脇小学校の見学で一番印象に残ったのは、避難の際に教員4人は日和山に避難せず屋上に残ったという話と、教壇をハシゴにして日和山へ避難したという話です。普段の避難訓練通りに行動するだけでなく、更なる危険を想定してより高いところに避難したり、教壇をハシゴ代わりにするという柔軟な発想力とそれを緊急時に即座に実行した行動力に感心しました。
また屋上に残った教員の方々や、地震が続き不安な気持ちもある中でもラジオで避難を呼びかけていたアナウンサーの方々の話を聞き、大人としての責任の重さを感じました。震災当時の私はまだ子供で、災害時も大人のサポートを受けて守られていましたが、これからは大人としても教員としても、大人から子供まで多くの人を守る立場になることを実感しました。そのため緊急時に誰1人被害者を出さないためにも、柔軟な発想力や行動力を身につけていく必要があると感じました。
震災を経験していても幼かったためあまり覚えていない人や震災後に産まれた人々は、天災の恐ろしさや、天災が起きたことで日常生活にどれだけ大きな影響を与えるかを具体的にイメージすることが難しいと思います。その結果、現状として天災に対する防災意識が薄まりつつあり、今後天災を経験していない人の割合が増えていけば、その傾向はさらに強まっていくと考えられます。
そのため、天災の恐ろしさを伝え、天災に対する意識を変えるためには、今回のように被災した現場を実際に見ることが効果的だと思いました。実際に私も門脇小学校の見学を通して、防災意識が変わりました。また現地に訪れることが難しい場合は、映像資料などを活用していくことも有効だと思います。さらにそういった機会を学年を重ねるごとに繰り返し設けることや、全国各地で積極的に取り組むべきだと考えました。
天災は私たちの力だけで防ぐことはできません。天災の規模によっては今まで通りの生活ができなくなるとこともあると思います。建物など自力で動かせないものは壊れてしまうこともありますが、それらは時間をかけて直すことができます。実際、石巻市は大きな震災の被害を受けましたが、今はそれが嘘のように復興しています。しかし、人間や動物の命はどれだけ時間をかけても失ってしまったら元に戻ることはありません。だからこそ、どんな大きな天災が起きたとしても、自分自身や周囲の人を守り、必ず生きていくことが大切だと、今回の見学を通して強く感じました。









































